水口 三鈴

水口 三鈴

Misuzu Mizuguchi

PROFILE STORY

USER PROFILE

ユーザープロフィール

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水口 三鈴

初めまして、水口 三鈴と申します。
自宅のリノベーションがきっかけで家庭環境が改善したことから、「空間・インテリア」が人生に大きな影響を与えるということを身をもって体験しました。

会社員を続けながら、2023年には株式会社ネクステージを設立し、不動産賃貸業と民泊経営(出雲・隠岐の島)をしています!

INTERVIEWER

インタビューアー

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ルウク@mirr

僕がsharelaboを経営していた時から水口さんとは交友があります。
ウェブサイト・名刺ご依頼いただいたきっかけではありますが、仕事の枠を超えてご自宅で料理をご馳走いただいたり、お茶したりと仲良くしていただいてます!

カンタロウ@mirr

mmm studioにてディレクターを務めております、タナカと申します。

最初にお会いしたのは2020年ですかね?きっかけはワタナベと同じくsharelaboです!
水口さんは我々にとって、いつも応援してくれてる存在です!

ORIGIN

生い立ち

01

病弱だった「大きな女の子」

生粋のおてんば娘。何度も脱走を繰り返す。

1971年2月、古都・京都。立教大学のすぐ裏手に佇む小さな家で、ひとりの女の子が誕生した。
2808gと、決して大きくはない産声だったが、その声は力強く、生命力に満ち溢れていた。

生後2ヶ月、目を見張るほどの成長を見せた彼女は、周囲を驚かせた。 「大きくなりはりましたなぁ」と、周りの大人たちはその成長ぶりに目を細めた。 初孫ということもあり、盆栽市に連れて行ってもらったり、祖父母に愛情たっぷりに育てられた。

彼女は天真爛漫で、自由奔放な女の子に育った。 テレビを見れば、ちゃぶ台の上で楽しそうに踊り、大人たちが目を離した隙に、2階の窓から脱走を試みることも。 そんなお転婆ぶりを発揮する一方で、頻繁に熱を出したり、お腹を痛がるなど、病弱な一面も持ち合わせていた。

ルウク@mirr

mirrのファーストユーザーになってくれて、ありがとうございます!

幼少期の大きなエピソードから聞いてもいいですか?

水口 三鈴

大きいエピソードか〜..。
そしたら、 生まれた時はすっごくちっちゃく生まれたんだけれども、「急に大きくなりました」っていうのがまず1つかな?

で、小さめに生まれたからどうしようってなってたんだけど、2ヶ月で急にでかくなって。
「随分大きく育てはりましたなぁ」って言われたんだよね。

カンタロウ@mirr

小さかったんですね!

水口 三鈴

そう比較的ね。
でさ、生まれてきて初めての孫ってめちゃくちゃ可愛がられるんで、いろんなとこ連れていかれて。
おじいちゃんにその当時の「盆栽市」とかそういうのに連れられたり、ものすごく可愛がられてさ。

ルウク@mirr

なんか、超おてんばだったって聞きました(笑)

水口 三鈴

ホントよ! テレビ見ながら、ちゃぶ台の上に乗っかって踊っちゃうような子供だったからさ(笑)

一緒に住んでいた叔父がいたんだけど、こんな感じで叔父に足に挟まれて動けないようにされてたし。

ルウク@mirr

相当手がかかったと..?

水口 三鈴

うん、とても。
言ったと思うけれども、借家の2階建てのところから脱出して勝手に出て行ったりとかしてるんで。閉じ込められてたはずなのにね。

でも病弱だったんで、私。
すぐお腹痛くなったりとか、すぐ熱出たりとかかな。そういう意味では手がかかる子供だったよね、でも元気は元気。

ルウク@mirr

特に大きい病気をしてたとかでは無かったんですね!

水口 三鈴

入院とかは無かったよね。
で、背が高いもんだから随分大人に見られちゃって。 年中さんだったのに、「小学校3年生?」って聞かれたり。

彼女のトレードマークである高身長は幼少期から顕在だったようだ。両親の背が高いわけではなく、祖父からの隔世遺伝なのでは?と彼女は語る。
ちなみに高校時点で彼女の身長は181cmを記録し、現在は182cm。30代で身長が1cm伸びたという。

水口 三鈴

あと左利きっていうのは昔は普通じゃないことだったから、 「右に直しなさい!」ってすごく言われて、それを治すのが本当に大変で。
結局治らなかったんだけどね。

カンタロウ@mirr

ご出身は京都ですよね、京都のどちらですか?

水口 三鈴

「千本北大路」ってとこにおばあちゃんちがあって帰省してたね。だいぶ昔だから、もう場所はあんまりわかってないかも。

水口 三鈴

それでまた妹が生まれるからってタイミングで帰省してっていう感じで。
私がやんちゃなために、うちの妹がお腹入ってる時に飛び跳ねちゃって。それがきっかけでお母さんが流産しそうになって、「これはやばい!」ってなって、隔離されたのよ(笑)

ルウク@mirr

妹さんがお腹にいた時も暴れ馬だったんですか!

水口 三鈴

お腹にいた時さえ、お腹に影響があるぐらいおてんばなことしちゃって迷惑かけたよね…。

ルウク@mirr

幼稚園に入るくらいから聞きたいのですが、そのまま京都で〜って感じですか?

水口 三鈴

いや、父が銀行員だったんだけど転勤がなにせ多くてさ。
幼稚園入る前くらいには東大阪に引っ越して、八重の里幼稚園ってとこに入ったよ。

ルウク@mirr

大阪の幼稚園での生活はどうでしたか?

水口 三鈴

初めての集団生活だったけど、まあまあ楽しかったよね。 別に中心人物になるわけでもなく、普通に友達と一緒に過ごして〜近所に仲いい子もできたし。
でも先生めっちゃ怖かったね..。

ルウク@mirr

結構怒られてる子でした?笑

水口 三鈴

もちろん、それはそう(笑)
いたずらしたりはしないけどさ、「いなくなる子」はダメだよな。 脱走するタイプの子なんで。

カンタロウ@mirr

大人からしたら一番怖いやつですね。

どんな遊びとか好きでしたか?

水口 三鈴

でも運動神経いいわけでもなかったからね、ちっちゃい時は。
今はたまたま運動できるようになったけど、「逆上がりできなかった」って話はしたっけ?

ルウク@mirr

以前に少しだけ聞いた覚えがありますね!

水口 三鈴

だから走るのも早かったわけでもないしね。でも外遊びも好きだった。 あ、本読むのも好きだった!

水口 三鈴

他にも小さい時の写真あったから見てみて。

水口 三鈴

この抱っこしてるのは妹!

ルウク@mirr

いいですね〜。ちゃんとおてんば感がある!笑

STUDENT LIFE

小学生~高校生

02

小学校から高校

小・中学校9年間のいじめを乗り越えて、 高校では手のひらを返されたようにうまくいった時の想いを聞く。

小学二年の転校、それは幼き彼女にとって過酷ないじめの始まりだった。 身体的特徴を理由に、彼女は人とは違うことを許されぬ時代に翻弄される。 左利きを矯正せんとする教師の仕打ちが、彼女の孤独を深めることになる。 親戚のコネによる私立中学への進学という選択肢を、彼女は潔く拒絶した。 それは、彼女の誇りであり、彼女なりの抵抗だった。 公立中学校への進学は、いじめという名の終わりのない悪夢の継続を意味していたが、彼女は自らの境遇に抗う術を知っていた。

ルウク@mirr

小学校は転校した経験があるんでしたね!

水口 三鈴

そう、まさかの父の転勤で。
あと両親が家を買ったのもあって、4月のタイミングで大阪から奈良の小学校に転入したんだけど、 「途中からきた転校生」っていうのと「左利き」っていうのが相まっていじめられて。

ルウク@mirr

身長が高いというのも、小学校だと特に「身体的特徴をイジる風潮」の影響を受けそうですよね…。

水口 三鈴

そうね、私目立つしねー。
すごく変わってたんでね、今も変わってるけど!
とにかく「人とは違う」っていうのでダメでしたね。

先生から左利きを直せと言われ、直せなかったっていう話に繋がってくるんだけど、 この利き手の強制のやり取りが5年生まで続いたから、周りからしたら「もうコイツはダメなやつだ」ってなったのよ。

ルウク@mirr

利き手を直させられるとか、今では考えられないですね。

水口 三鈴

そうだよね。
でも、成績は中の中だったし、音楽は幼稚園の時からピアノやってたおかげで絶対音感あるんだよね。

ルウク@mirr

マジっすか!音楽が得意でピアノが弾けるんですか?

水口 三鈴

ものすごくできるわけじゃない、もう今は。 でもこれはこれで今でも役に立ってる。
なんかの音聞いたら、「この音だからこういう感じだよね〜」とかいうのは分かるし。

ルウク@mirr

小学五年生まで..?
あれ?ずっといじめは続いていたんでしたっけ?

水口 三鈴

そうそう、「中学校が終わるまで」ね。
だって周りの環境が変わらないし、公立だから。 親はすっごくね、中学受験を勧めてきたんだけど、私が頑なに断ったんだよね。

京都にある付属中学校があるんだけどそこは親戚が経営してる学校で、「そこだったらあんた入れるから」って言われたんだけど、 断っちゃったのね。

水口 三鈴

親戚のコネでいくのが嫌で公立中学校に進学したら、環境変わらないんだから、いじめは止まらないよね。

ルウク@mirr

側から見れば、環境を変えた方が間違いなく良さそうに見えますけどね。
いじめから逃れるよりも、「コネで進学する罪悪感」の方がつらかったとか・・?

水口 三鈴

というよりも、親が厳しかったからさ、いじめられて落ち込んでる暇とか無かったわけよ。
学校行かないなんてとんでもない!って感じだったから、もう歯食いしばって学校行ったもんね。嫌だけど。

いじめられていたことで友達もいないため、遊びに出かけることはなく家で本読むことが多くなった。
そんなある日、本屋さんで見かけた本が、曜日によって生まれた性格とかが決まる的な占いの本であった。
何曜日生まれの人はこんな人生で〜とざっくりまとめられている中で、彼女の曜日である「土曜日生まれ」の欄を見ると、 「大器晩成」の文字が記されていた。

今は辛くても、だんだん年取れば取るほどいいことがあるというメッセージを胸に、あとは楽しくなって上がるだけだっていう風に切り替えができたと語る。

水口 三鈴

その時はもう身長が165以上あったからバスケとか行くのかと思いきや、 「背が高いから」って安易な選択をするのが嫌だっていうめっちゃくちゃ天邪鬼な理由で、バドミントン部に行くわけですよ。

カンタロウ@mirr

中学校の時・・?

水口 三鈴

そう、中1から中3まで部活はちゃんとやりまして。 でもバドミントンで強いかどうかはまた別なので。
高身長が生かされるわけでもなく、それはまた別の才能だから。

あー、やっぱり身長とか、性格とか、体格に合ったスポーツってあるんだな〜ということを学ぶという。

カンタロウ@mirr

バドミントンって、その、「ネット競技」じゃないですか。
バレーとかだとすごい身長が大事なイメージがありますけど、バドミントンはそうでもないんですか?

水口 三鈴

まあタッパは無いよりはあった方がいいかもしれないけど。
テニスと一緒って思えばいいかな? テニスのコートが広いっていうのもあるかもしれないけどさ、ああいうのってさ、とにかく「性格悪い」のが必要でさ。

こう打つと見せかけて、ここっていうのが試されるスポーツだから。
私、そういう意味ではバスケで騙す方いっぱいやってたから性格は悪い方だけど、バドミントンは性格悪いと難しい。

ルウク@mirr

バトミントンも得意そうですけどね!

水口 三鈴

あーと、そういう騙すのは好きだったけれども、バドミントンではそこまでうまくできなかった。

ルウク@mirr

身体的特徴を素直に生かした方良かったと学んだということですね(笑)

水口 三鈴

ひねくれてバドミントン行ったら、「そうでもねえな」って気がついて(笑)
そうか、ここは素直に行けばいいのか!と。

ルウク@mirr

高校は帝塚山高校でしたよね!

水口 三鈴

そうだね、受験の面接の時に、「あなた背が大きいし、左利きなんだったらバレーかバスケやりませんか?」って言われたから、受かりたいじゃん?
「やるやる、やります!」って言ったら、数学でたまたま知ってる問題がまるごと出たのも相まって、受かっちゃったんだよ。

ルウク@mirr

今調べたら、奈良県2位の高校ですね、すごっ!

水口 三鈴

今はすごいみたいね。
だから、意外と「人のお勧めで行っても悪い結果にはならない」っていうことは学んだね。

カンタロウ@mirr

いい学びですね。

今までは身体的特徴を悪いように捉えられてたじゃないですか。高校に入った途端、受け入れてくれたことについて何を思いましたか?

水口 三鈴

だって、それまで「欠点」とされてたものが急に「利点」に変わるわけでしょ?
あとはなんていうの、日本は人と違う動きとはそんなに大事にされない感じがあるよね。

みんなが同じ方向を向いて、みんなと同じようにできるのが良しとされてるけど、でも実際社会に出たり、学校とかでスポーツやったりすると、個性を求められる。
「あなたのできることは何ですか?」って。

ルウク@mirr

まさに転換期ですね。

水口 三鈴

高校2年生の時に、 部活の同級生の子たちがみんな辞めちゃったの。
分裂して、「監督サイド」vs「コーチサイド」になってしまって。

カンタロウ@mirr

おお、具体的には・・?

水口 三鈴

前からいたコーチと監督の考え方が違って、戦術とかいろんな見解のそういうがあってさ。
監督に合わせてたんだろうけれども、反発して結局コーチが辞めることになり、そのコーチにみんなついて行っちゃって。
私以外全員辞めたの。

一緒にやっててそのコーチのことも好きなんだけれども、和を乱すのは嫌じゃん?
で、ましてや「できることがあるかもしれない!」って言ってバスケを見つかちゃったもんだから、辞めてしまったら部活なくなっちゃうから辛いわけ!

水口 三鈴

で、それで「どっち派なんだ?」みたいに言われて、うーんって思ったんだけど、私は「部活は続けるわ!」って言ったら、いきなり「キャプテンやれ!」って言われたんだった。

カンタロウ@mirr

2年生は水口さん1人になっちゃったんですよね?

水口 三鈴

そう!でもワタシは歴が短くて上手い子は下にいっぱいいるわけよ、だってみんな中学からやってんだもん。
「いや、それはちょっと勘弁してください!私、4番はつけられないです!」って言って、後輩にキャプテンになってもらって私が2番手ぐらいで続けたね。

私はキャプテンタイプじゃないよ。
だって、やっぱ実力あるわけでもないもん、体格で来てるからさ。

カンタロウ@mirr

大学でもバスケはやろうと思ってましたか?

水口 三鈴

中京大学でバスケやる話もあったんだけど、 親から「怪我したら終わりでしょ」って言われて。
なんせ銀行員の家系でありますので、あっさりとその道は無くなったね。

ルウク@mirr

それをきっかけに、「スポーツ栄養士」を目指したんでしたよね!

水口 三鈴

そうだね、第1志望のとこは行けなくて、結局は外部から受け直した自分の短大に受かるっていう(笑)

ルウク@mirr

帝塚山の短期大学ですね。

水口 三鈴

そうそう、だって、食べるものとかによってさ、調子が変わったりするからさ。
バスケやってて、「食べ物によって動けなくなったり〜」とかもあったから、「これ食べ物相当大事だな!」と思って結構調べたりしてたんだよね。

COLLEGE LIFE

大学時代

03

大学生活

スポーツ栄養士になるべく、帝塚山短期大学へ進学する。

スポーツ栄養士への夢を胸に、帝塚山短期大学へ進学。 しかし、待ち受けていたのは、山積みの課題と部活との両立という試練の日々。それでも、持ち前の頑張りで実験や実習を一つずつクリアしていく。卵黄を使ったサブレ作りに笑顔を見せる彼女は、まさに「食べる幸せ」を体現していた。
お正月料理の実習では、彼女のちょっとした遊び心が光る。助手の先生の出汁に、こっそり味の素をプラス。その結果、彼女の料理が「一番美味しい」と絶賛される。この成功体験は、彼女の自信をさらに深めた。
学業の傍ら、喫茶店でのアルバイトもこなす。持ち前の明るさと気さくさで、常連客からも愛される存在に。忙しい日々の中でも、彼女はいつも笑顔を絶やさなかった。夢に向かって一歩ずつ進む彼女の瞳は、希望に満ち溢れていた。

カンタロウ@mirr

大学はどうでしたか?

水口 三鈴

実習とか行って、なんか食品加工の実習とかで「パンこねたり」だとか、「蒟蒻作ったり」するとか、そんなんもしてたね。

例えば、ものすごく動いてきた後に実習があって、「もうパンこねてるから早く!」って言われてパンとこねたら、誰より早くこね上がったこともあったね。
手があったかいから。 あと、力が強くて。体育会系のもんで、うわーってこねてね。

カンタロウ@mirr

ありますよね、なんか手があったかいといいみたいな!

水口 三鈴

でも、手があったかいと寿司は握れないらしい(笑)

ルウク@mirr

(笑)

水口 三鈴

あとはね、変わったことっていうか、面白かったことは…実験!実験すごくやるね。
化学の実験でタンパク質とかなんかそういうのを分析したり、解剖もやってるし!

水口 三鈴

ある日、卵白をものすごく使う実験があって、卵黄が余ったのよ。
それ、もらっていいですか。って言って、サブレを焼いて。

卵黄だけを使うものは何?って思って、スマホとかないから色んな人に聞いたり探したりとかしたら、どうも「サブレ」いうのが焼けるらしい。
「じゃあそれやろう!」っていって、友達誘ってちゃんと許可貰って空いてる教室使って作ったんだよね。

カンタロウ@mirr

発想が面白いですね!今も料理が上手なのは、こういう「発想の柔軟さ」が影響してますよね。

水口 三鈴

あと面白いエピソードとしては、調理実習でおせち料理作る時にさ、お雑煮作ったりとか、なんか色々作るじゃん?

助手の先生がお出汁とか準備するんだけど、それがあんま美味しくなかったのよ。
先生ごめんなさいなんだけど、私が前の日にこっそり「味の素」持ってきて、 こっそりちょろちょろって入れて出したら、1番取った(笑)

ルウク@mirr

味の素って本当に最強ですね(笑)

水口 三鈴

人って意外とそんなもんだよなっていう。
努力が報われるわけではない。

カンタロウ@mirr

(笑)

水口 三鈴

だから、昔からの作り方で完璧に!っていうのもそれはそれで素晴らしいから、そういうのは美味しいって言えるけど、 それだけじゃなくて、 ちょっと楽なのもいいんじゃないっていうか。

ずる賢いでしょ?(笑)

ADULTHOOD

大人になってから

03

大人になって

栄養士として病院勤務後、日本生命へ。

厳格な両親に育てられた反動か、自由奔放に生きてきた。病院の栄養士として社会に出たものの、厳しい環境に耐えられず退職。
父親のコネで入った日本生命でも苦労したが、持ち前の明るさで乗り越え、事務の仕事も楽しめるように。
社内恋愛で結婚し、慣れない土地での新生活もスタート。
思い通りにならない人生でも、「置かれた場所で咲く」彼女の生き方は、自分らしく生きることの大切さを教えてくれる。
人生は思い通りにいかないけど、どんな状況でも小さな幸せを見つけていくこと。それが彼女の教えてくれた自由なのかもしれない。

水口 三鈴

自由人なわけよ、私は。
親がすごいガッチガチだから、真逆に行こうとして内緒でいろんなことするようになっちゃって。
で、社会人になって、最初病院に就職したけれども、先輩が怖すぎて体壊してやめた。

カンタロウ@mirr

病院の上下関係は結構怖いイメージありますね、日本生命に入る前ですか?

水口 三鈴

そうそう、 半年ぐらい病院で栄養士として普通に就職してる。
もうほとんど卒業は2月ぐらいにしちゃうから、2月ぐらいから入って半年弱働いた。

人の紹介で入ったのにも関わらず辞めちゃったから、ちょっとね…

ルウク@mirr

なんで病院に就職したんですか?

水口 三鈴

奈良県立医科大学の先生のとこで助手のバイトをしてたからさ。
うちの短大の細菌学の先生がいて、その先生が短大の教授だったの。
で、奈良県立医科大学の教授にもなってて、その人が「助手のバイトしない?」って私を誘ってきたから。

その先生の紹介で、病院に就職して、思いっきり裏切っちゃうわけですね。
で、もう「本当に申し訳ないです…」って謝って、許してはもらえたけどね。

ルウク@mirr

ガッチガチの親御さんはすぐ辞めたことについて言及しなかったんですか?

水口 三鈴

あのね、私がそうやって辞めたから、うちの父親がめちゃくちゃ心配したんだよね。
で、私はこれからどうしよう!と思いながらも、とりあえずバイト始めて、それはそれで楽しかったんだよ。

そしたら父親が急に「就職決めてきたから行ってらっしゃい」って言い出して。
それで日本生命の面接に行って、事務職で受かるんだよね。

水口 三鈴

うちの短大からも受かった人がいて。
でも私が受かったのって、すごく中途半端な時期で、稀な9月入社という。

ルウク@mirr

ガッツリコネですね(笑)

水口 三鈴

ほんとよね。
それで、面接で「お父様は~」とか言われちゃって思わず笑っちゃったよ。
「お父様」なんて言われたことないから、「どうしたお父様って!?」っと思って(笑)

父が、「最近娘が会社辞めてね…」みたいな話をしてたみたいで。
「じゃあちょっと任しとけ!」みたいに言われたみたい。

カンタロウ@mirr

お父様すごい…(笑)

水口 三鈴

それで、私は外面(そとづら)は良いと思ってるから、「父は尊敬してます!」みたいな感じで、わーっとやって。
ま、受かっちゃいましたっていうね。 

で、入社するにあたって特別扱いされるか?と思いきや…

ルウク@mirr

ほんと、人から与えられた環境に対して上手く生きる術を持ってますよね。

水口 三鈴

私、総務に入ったんだけど、2~3センチぐらいある分厚いマニュアル渡されて、「これを1ヶ月で読んで頭に入れてきてください。」って言われて泣いたよね。

夏休みっていうか、もう8月で。「1か月間でこれ読めと!?」みたいな。

ルウク@mirr

意外ですが、全く特別扱いは無かったんですね。

水口 三鈴

そんなのは全くない。
そっから、もう今まで全くやったことのない事務の世界に入るんだけど、もう、わーって感じで。
特別扱い0で、遅れて入ってるからさ。

ここで父に言われたのは、「俺の顔にドロを塗るなよ。絶対やめんなよ。」って。
もうやるしかなかったよね。

カンタロウ@mirr

父のプレッシャーを受けながら仕事をしていくわけですね。

水口 三鈴

法務のことやんのかな?と思ったら、思いっきり会計のことだったから怖くてね。
その代わり、マニュアルが全て整ってる感じで、ちゃんと育ててもらえるからそういう意味ではやってよかったかな?

だから今社長になってね、「何が経費で〜」とかがわかるんだよな!

カンタロウ@mirr

あ、だから会計とか税務に詳しいんですか!

ルウク@mirr

会社での仕事はスムーズでしたか?

水口 三鈴

そうだね、私が言われることってもう決まってるじゃない?
「身長は何センチですか?」 「こんなに大きかったら、バレーかバスケやってるんですか?」 とかね。
もうさ、営業の方が得意なんじゃないの?ってぐらい、もう質問されることがわかってるわけ。

だから話題が作りやすくて、お客さんは私にいいイメージで入ってくれるんだよね。

水口 三鈴

これ、当時の私。

カンタロウ@mirr

なんか話を聞く限りうまくいってそうですね!

水口 三鈴

そうそうそう。一応「鳴り物入り」で入ったから、いじめられはしないだろうとは思ってて。

だけど、自分自身が事務の仕事をできるかどうかは、入る前にはわかんないよね。
でも、やってみたら意外とできたし、意外と事務は向いてたんだよ。

水口 三鈴

事務って結構コツコツ系でさ。検証を1つ1つ潰していくって大学時代の実験でもやってたことだから。
意外と事務は向いてたのかなって思う!

普通に就職する時だったら、絶対事務は選んでないのね?
一旦放り込まれて、苦手かもしれないと思うことでも、「やってみないとわかんないな」ってことは分かった。

ルウク@mirr

食わず嫌いはダメですよね。できないことが増えるとできることも減っていくだけで、尖りまくったステレオタイプになってしまうし。

ちょうどこのくらいの時期に結婚されたんですよね!

水口 三鈴

そう、社内恋愛だったからね、それで会社やめなきゃいけないのよ。
4か月で結婚しちゃったからね、もうめちゃくちゃ勢い!

でも、それまではもうなんか全然結婚する感じとかもなかったから。
ましては背が大きいっていうことでおばあちゃんがめちゃくちゃ心配して、「この子は一生結婚できないぞ」て思ってたらしい。

カンタロウ@mirr

結婚は何歳の時ですか?

水口 三鈴

26歳だね、早いか遅いかはわからないけど。

水口 三鈴

だから、いろんな転換期があったわけで。
そして、「自分の思うように人生になってない」ってのはわかるでしょ?

だって、私はバスケはやりたいと思ってやったわけじゃないし。じゃあ、バスケで行こう!と思ったら、親にダメって言われて。
で、栄養士になれなろうと思って栄養士にはなったけれども、病院勤務で挫折する。
で、挫折して栄養士より給料良い日本生命にコネで入るじゃない?

カンタロウ@mirr

置かれた場所で咲くタイプですよね。

水口 三鈴

そうです。
いや、なんか勝手に周りの環境がどんどん色々チェンジしちゃって。それも思ってないやつばかりの感じで、今度そっちですか?っていう感じ。

結婚したからと思って旦那の方で暮らしてみたら、周りに誰も知り合いがいないからやっぱりしんどくなっちゃって。

ルウク@mirr

あれ。東京に来てってことですよね?

水口 三鈴

うん、だって言葉も違うし。
そんなに関西弁出ないタイプだけどそれでもやっぱりきつくて。知り合いがいない、喋る人がいないっていうのは。

社会的に生きてる意味が感じられなくなって、「いやこれちょっとやばいな」と思って、働かせてもらって。
で、そこでコールセンターではたらくんだけどね。
そこで謎のコールセンタースキルも身につけてる。

ルウク@mirr

社内恋愛とはいえ、結婚が理由で働いていた職場(日本生命)を辞めさせられるのも今では考えられないですが、大きな変化に全て適応してきていますよね。

RECENTLY

最近の水口三鈴

05

予想外の発展

離婚を機に自宅をフルリノベ。2023年には大家業・民泊業を経営する株式会社ネクステージの代表取締役に。

当初、会社設立など想像もしていなかった彼女。
しかし、名刺・ウェブ制作がきっかけでsharelaboと出会い、起業の道を歩み始める。
民泊事業への挑戦は困難の連続だった。初期投資の負担、大家業とは異なる苦労、資金繰りの苦しさ…。何度も心が折れそうになりながらも、彼女は諦めなかった。
そして現在、複数の民泊物件と賃貸物件を所有し、念願の一戸建てを手に入れた彼女。しかし、彼女の夢はここで終わらない。全国に民泊を広げ、シングルマザーや高齢者など、様々な人々に新たな選択肢を提供したい。社会インフラとしての役割を果たし、地域経済の活性化にも貢献したいという熱い想いを胸に、彼女は今日も挑戦を続けている。
「やりたいこと」と「やるべきこと」の間で葛藤しながらも、失敗を恐れずに突き進む彼女の姿は、まさに不屈の精神の象徴だ。持ち前の行動力と情熱で、彼女は民泊事業という新たな道を切り拓き、社会に貢献するという大きな夢に向かって力強く歩んでいる。彼女の未来は、希望に満ち溢れている。

水口 三鈴

今までの人生の感じ聞いてほんとわかると思うんだけど、大体のことをやりたくてやってない。

ルウク@mirr

確かにそうですね。環境に適合していくスタイルですよね。

水口 三鈴

うん。
やりたくて頑張って、「岩をも穿つ」って感じでやり通してこれをやってます!じゃないんだよ。
私は、「これダメ」「これもダメ」だからチェンジ、チェンジ!って 環境がどんどん変わっていって、その時々に合わせて動いた結果がこうなっちゃったっていう感じなんで。

それで、うまくいかなかったな〜ってこともあるんだけど、その途中で知り合った人がきっかけになって、うまくいったりするのね。
だから一概に「全部バツだったな」って思わないようにしてて。
最後丸にすれば、全部丸だと思ってるよ。

ルウク@mirr

会社もつくる予定なんて無かったと言ってましたね。

水口 三鈴

そういうので、事業を始めるってよりも、始めさせられたみたいな感じなんです。
だって、会社作るつもりなんかなかったからね。

だって会社作る前に、あなたの会社の話を聞いて、「あ、会社ってできるんだ、すごいな」って思ったんだよ?

ルウク@mirr

え、本当ですか?

ワタナベが経営していたsharelaboでwebサイト制作を依頼してくれた水口さんとは2020年から面識がありました。 当時21歳のワタナベが会社経営をしていたことに影響を受けてくださったようで、なんともいえない喜びに包まれました。

水口 三鈴

だってその年齢で会社やってる人って私初めて見たもん!
だって、それまで私の周りはガチガチの固いとこだよ?

なんかそういう偉い人たちが周りにいる中で、私が異端児でいるわけ(笑)

ルウク@mirr

会社を始める前にsharelaboに来てもらって、個人で事業やるみたいな感じだったじゃないですか、最初は!
あの時ってどういう計画だったんですか?

水口 三鈴

あの時の計画は〜。
というか、なんでそもそも知り合ったんでしたっけね。って感じなんだけど!

カンタロウ@mirr

イラレの教室ですよ!

カンタロウが当時通っていた洋裁教室でイラストレーター講座を開催するにあたって講師として参加していたところ、水口さんが参加者として現れて出会う。

水口 三鈴

そうだ!イラレを学んで〜っていう興味もあったけど、プロに任せた方が早いと思ったから、プロを捕まえようと思って出かけたら、野生のカンタロウに会ったんだよ、野生(笑)

ルウク@mirr

野生って(笑)
え、何をやりたくてデザイナーを探してたんですか?

水口 三鈴

あ、そうだ。エノモトさんに言われたんだ。
最初、事業をやる時とか 大家をやるときは、信用してもらうためにまず名刺作りなさいって言われて、私その発想無かったって感じだったんだ。
「名刺ですって!?」って感じ。

エノモトさん:長年よく相談に乗ってくれる、水口さんのお友達の一人。

ルウク@mirr

名刺も依頼してくださりまして、ありがとうございました。自分でいうのはあれですが、結構あの名刺気に入ってるんですよ。

水口 三鈴

その時はギリギリお金かき集めて買ってるんだけどさ。
そういうのやってたらいろんな人に会ったりして、地主さんであったりとか、不動産屋さんであったりとか、カンタロウくんであったりするわけ!

カンタロウ@mirr

(笑)

水口 三鈴

で.…コツコツやってったら、旦那の収入でもらってた20万よりも多くお金を稼げるようになったから。
子どもたちの学費を払ってはいたけど、結婚した時より増えたから、気持ちの余裕が全然違って。

あとは、経費が使えることがわかって。
あれ、私が事務で学んだ知識が使えるって。

水口 三鈴

 経費を使えたりすると、お給料は少ないけれども税金が返ってきて、家賃収入もあるっていう生活が実現できるようになって。
「いいぞこれは!」って楽しくなっちゃった。

カンタロウ@mirr

自分で経営していると時間の余裕も取れるし、不動産収入だと基本的に自分自身が拘束されないから理想的ですね。

水口 三鈴

それで家をちょっとずつ増やしていこうって、現金貯めて〜って思ってたら、 ホームページも作った方がいいぞってことになって。

ルウク@mirr

いや、奇跡的なタイミングでしたね。

カンタロウ@mirr

こうなるとは思ってなかったですよ!

水口 三鈴

それで、ホームページを依頼しに行ったら、また、面白いのがいるわけよ。
野生のルウクさんが(笑)

ルウク@mirr

カンタロウから、なんか先生のところで講師をやってたら、「ウェブ作りたいって言ってる人が来たんだよね!」みたいな話をもらって。
じゃあぜひ会いたいよ!って話をしたの覚えてます。

あの時は僕、尖ってた気がします・・(笑)

水口 三鈴

あーまあまあゴリゴリ。 攻め攻めだけど、超守りな感じだったし、おお、尖ってんな〜若いなって思って(笑)

なんとなく、柔らかくありがとうございますって言うんだけど、ちゃんと怒る時は怒りそうだな!って勝手に思ってた。

ルウク@mirr

全然怒ったことないんですけど…見た目で結構怖がられることが多いのが悩みです…。

カンタロウ

そういえば、名刺の調子はどうですか?
この前、久しぶりに水口さんの名刺を見つけて、懐かしいな~って思って!

水口 三鈴

めっちゃいい。でも紙がなくなちゃってさ。
デジタル名刺で使ってる!余裕ができたら再発注したいな。

ルウク@mirr

そういえば会社たててもう一期超えたじゃないですか。
率直に一期目はどうでした?

水口 三鈴

うん、ギリギリ.…冷や汗って感じ!

水口 三鈴

いや、だってさ、大家は1個ずつ物件を買い進めていって、住む人が変わらない限りはお金が入ってくるという素晴らしい職業。
でも民泊は泊まってくれなかったら、ゼロじゃない!

それにね、民泊って作るのに初期投資めっちゃかかる。
例えば、マットレス一枚7000円だとして、12枚で84000円じゃない!

ルウク@mirr

必要不可欠なものへの投資額が全然優しく無いですよね。。

水口 三鈴

その通り。
それにマットレスだけじゃ営業できないからね?(笑)
だから、初期のお金の無くなり具合がエグくて、そこにプラスで125万マイナスが来たんですよ。

よくわからないお金のなくなり方で。 これが事業なんですねって初めて知るっていう.…

水口 三鈴

だから、あなた(ルウク)はそれをして知ってんだからいいよね。

ルウク@mirr

立ち上げ初期って売り上げがないんで、ただ目減りしていくのがとにかくしんどいですよね。

水口 三鈴

だから、安くて良いインテリアを見つけて頑張ってる。

ルウク@mirr

工事費も入れたらどれくらいですか?

水口 三鈴

オトノイ(隠岐の島の民泊)は建物が150万円で工事で400万円飛んでるからね.…

トキ(出雲の民泊)は、まだこれからだけど、100万円で物件買って、工事費で190万円ぐらい払ってんのか。
マットレスとかインテリア系まだ買ってないから、多分別途で80万円くらいかかるとおもう。

オトノイは島根県・隠岐の島にある古民家リノベーション民泊、トキは島根県・出雲にある古民家リノベーション民泊で、2件同時にオープンに向けて進めていた。 現在は両民泊ともオープンしている。(2024.9)

ルウク@mirr

オトノイとトキ合わせて1000万ぐらいかかってますよね?

水口 三鈴

恐ろしいわ。
色々やりくりした結果なんですけどね。怖いね.…だから色々吸い込まれたのがわかるでしょ?
残高も5万になったからさ。

水口 三鈴

それに持ってたマンションの一つがね、蒸発したよ、1週間で「ジュ」って。
まさに焼け石に水w

ルウク@mirr

青砥のマンションを売ったんですよね?青砥って買った時の値段から割れました?

水口 三鈴

割れてる割れてる、だってすぐ払ってくれって言われたから。
迷惑かかるから払わざるを得なかったからね。

ルウク@mirr

今、大家業として持ってるのって何軒ですか?

水口 三鈴

本八幡駅前にマンションが2つと民泊2つ。

やっぱりコツコツお金がね、ちょっとずつ入るっていうのはいいよね。

カンタロウ@mirr

あとは、これからの話〜ビジョンとか聞きたいです!

ルウク@mirr

そう、なんかビジョンってあります?
すごい適当に言いますけど、例えば、会社でいったら「物件どんどん増やして展開〜」とか。

水口 三鈴

そうだね〜。
思ったのは、シングルマザーになって 仕事とかもあんまりできなくて大変だったとしても、なんとかできるようにしてあげたい。

シングルマザーだけじゃなくてそれ以外の人にもかな?
例えば年取って60歳で定年して仕事がなくなりましたとか、そういう弱い人。
私も弱い人の部類だから、そういう人たちがなんとかなるようにしたいって思ってる!

カンタロウ@mirr

水口さん個人だけのモチベーションで会社をやっているわけじゃないってことですね。

水口 三鈴

うん、私がそういう風にできるっていうのを見せたいんだよ。
そうしたら、真似していけばいいし一緒に合わせて動けばいいし。

で、この民泊って田舎でやる意味もあってさ。

水口 三鈴

トキがある出雲の自治会長の人が言うには、「この前すごい大雨が降って、通行止めになったりとか大変だったんですよ。」って。
それで、「インフラが止まったら助けに来てもらえるかどうか?」っていう不安もあったみたいで。
都会でも田舎でも、そうなった時に「民泊」って避難所的な役割もあるもん。

あとは出雲の整体さんのお兄ちゃんと仲良くなって、その人とコラボしてトキに来てもらってやってもらいましょう!とか。
他には、マルシェやりましょう!とかって。

水口 三鈴

民宿の近くのお母さんたちを雇って、リネンの清掃をやってもらったりとか、雇用も生み出しましょうとか。

インフラ的な役割も果たしつつ、地域にあるお店と提携して、その地域にもお金を落としたいなって。

ルウク@mirr

水口さんのフットワークの軽さが、地方の活性化にも貢献していく姿はスムーズに想像できますね!

水口 三鈴

空き家はまだいっぱいありますから、「2店舗目どうすか?」みたいな話にもなってるのよ。
だから、そうなってくと同じようにして私のように運営していく人が増えれば、賑わってくるっていう可能性も出てくるかもしれない。
オトノイのある隠岐の島には、マリンスポーツあるし、イカ釣りできるし、釣りも結構できる!

人がたくさん呼べたら収入も増えるし、もし地域の人たちが民宿をやって独立したり、副収入が増えたりすればいいな!って思う。

水口 三鈴

さらに思うのは、私の友達たちってうちの子供同様で、子どもが不登校になっている人がいて不安みたい。
だけど、私がこんな48歳とかでいきなり離婚しちゃって、いきなり大家になっちゃって、民泊とか始めて。

だから、「そんな色んなしがらみに囚われなくてもなんとかなるよ」って見せたいの。

水口 三鈴

で、その人がもしもそこでカフェやりたいって言ったら、カフェやったらいいじゃん!っていう風にしたい。
子供とかにも色々手伝ってもらいたいなって思って。

それぞれ不得意得意があって得意なことで見つけるまでが大変だけど、得意なことが見つかったら生きてけるからさ。
それは自分で決めることじゃなくて、とりあえずやってみないとわかんないっていう風に思ってんの、私は。

水口 三鈴

ってな感じですかね。 でも結局学ばされたのはそこだったよ。

私いじめられて高校とかは出たけども、あの時死んでたらね、こんな展開思ってないからね。
生きてみなきゃわかんない、嫌だったら逃げたらいいってことも学んだし。
ちゃんと逃げてるからね、私。

ルウク@mirr

やっぱり過去に経験した辛い出来事は面白いくらいに役に立ちますね。綺麗事だけでなく、自分が色んな経験をしていると救える人も増える。

カンタロウ@mirr

もうちょっと深堀りしたいんですけど.…
今そういう風に地方創生とかいろいろな立場の人を助けたいみたいに思ってる大きな要因としては、どういうのがあるんですか?

水口 三鈴

シングルファーザーもシングルマザーもそうだろうけど、理不尽だからじゃない?
普通に就職して、普通に生活してたら会社辞めても転職できるっていうのがあるけど、 この立場の人たちはそうはいかない。

介護もそうだろうね。
そういう人たちってなかなかなか理不尽で、 素晴らしい能力があっても機会がなくなってしまう。
世話しなきゃいけないっていうのはすごく大変だし、日本はその辺あたりは割と冷ためじゃん?

ルウク@mirr

なんか話変わっちゃいますけど、一緒に民泊事業できたりしたら楽しそうですね。

また進捗ぜひ教えてください!出雲にも遊びに行きたいです!

水口 三鈴

是非是非。隠岐の島は遠いけど、いい場所だから本当に。

ルウク@mirr

ありがとうございます!じゃあ写真撮影しに行きましょうか!

In Conclusion

さいごに

07

この日は陽射しが鋭い37度の猛暑日で、外撮影しようにも落ち着いて考えられるような気候ではなかった。

上野にあるRoute Booksにてインタビューを行った。店内撮影不可であったが、自然に囲まれたインテリアが好きな彼女にとって、居心地の良い最適な場所であった。

Interviewee/ Mizuguchi Misuzu
Interviewer/ Luke Watanabe,Kantaro Tanaka
Photo/ Luke Watanabe
Direction/ Kantaro Tanaka
Contents Design/ Luke Watanabe