浅見 貴則

浅見 貴則

Takanori Asami

PROFILE STORY

USER PROFILE

ユーザープロフィール

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浅見 貴則

はじめまして、浅見と申します!
浪人中にお世話になった数学の先生の影響で、大学受験に関する幅広い業務を経験しました。

「自習の質と量を最大化することが最も重要だ」という結論に至り、2016年に春日部にて自習型の学習塾パラリアを立ち上げ、2024年で9年目となります。
東京工業大学 経営工学系博士課程在学中で、大学では自習空間の研究をしています。

INTERVIEWER

インタビューアー紹介

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ルウク@mirr

私はパラリア一期生ということもあり、2016年から浅見さんにはお世話になっています。

カンタロウ@mirr

mmm studioにてディレクターを務めております、タナカと申します。

ワタナベの影響で、2018年ごろから浅見さんとは面識があります。 特に最近では仕事の相談はもちろん、一緒にご飯を食べたりよくしていただいている中で、インタビューができてとても嬉しく思います!

ORIGIN

生い立ち

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大人にとって理想のいい子

怒られるのが怖い。

彼の五歳までの記憶は深い霧に包まれており、五歳の時、幽体離脱にも似た体験を通して自らの肉体へと「侵入」した瞬間から自我が目覚めたという。
東大出身者のほとんどが2歳前後で自我に目覚めていることと比較し、(東工大出身の)自分は「センスがない(天才型ではない)」と主張している。
彼は、両親や教師といった「大人」に叱られることを恐れており、その恐怖が彼を「良い子」で居続けさせる原動力だった。
水泳とサッカーを彼自身の意思で始めたというが、これらの習い事は「だるかった」と感じていたようだ。
それでも、理想の「良い子」を演じるためには、それらの習い事も完璧にこなさなければならなかった。
大人への恐怖の源は、特定の出来事が原因ではなく彼自身の内面に深く根ざしていたもので、両親の教育方針が特別厳しかったわけでも体罰があったわけでもないから興味深い。

ルウク@mirr

浅見さんって、幼少期どんな子だったんですか?

浅見 貴則

どうなんだろう。
なんだろうな、そんなに記憶ないんだよね。

ほんとに何にも考えてなかったんだろうね(笑)

ルウク@mirr

ちなみに最初の記憶は何歳ぐらいですか?

浅見 貴則

いや、5歳までの記憶が全くないんだよ。

自我の目覚めみたいな話になるけど、一番最初の記憶は「幽体離脱状態で自分の体を天井から見てるところ」からなんだよね。

ルウク@mirr

なんか怖い話ですね。転生モノの物語でありそうな自我の目覚め方というか。

浅見 貴則

だからこの時とか全然記憶にないよ。

彼の五歳までの記憶は深い霧に包まれており、五歳の時、幽体離脱にも似た体験を通して自らの肉体へと「侵入」した瞬間から自我が目覚めたという。

ルウク@mirr

ってことは5歳だから幼稚園の年中くらいまで記憶がないってことですよね!

この頃から「大人に怒られるのが怖くて頑張っていた一面があった気がする〜」 って言ってたと思って。

浅見 貴則

まあね、合ってる合ってる!
怒られるのが怖かったのは確かにそうだけど、その理由まではよくわからん。

カンタロウ@mirr

文章見てるとちょっと強くなりません?
その、「大人に怯えてる」みたいなニュアンスになりそうで。

ルウク@mirr

怯えてるわけではないですか?

浅見 貴則

いや、どうだろうね…
そう言われれば、怯えてたかも。

なんて言えばいいかって言われたら、「怯えてた」が正しいかもしれない。
きっかけはよくわかんなくて、「親から殴られた〜」とかそういうのじゃないんだよね。

ルウク@mirr

両親が厳しかったとかじゃ無かったのが、また不思議ですね。

浅見 貴則

でも、そういう意味では高校になってからも結構それ引きずるんだけど、なんか基本的に全部できる方だったからさ。
だから、「勝手にミスれないみたいな感じ」になってたかもしれないね。

別にうちの親もそんなになんか期待かけてくるタイプじゃないんだけど、勝手に背負ってたところはあるよ。

ルウク@mirr

完璧主義だったんですかね。

浅見 貴則

ありうるよね。
なんか気づいたらできる側だったっていうだけであって、そのために何か頑張ったとかじゃなかったし。

「何でもそつなくできる能力」は自分自身を締め付ける鎖のような側面もあるだろう。
「できる」からこそ、「できない姿を見せたくない」というように自身への成長ハードルは常に高くなっていく。

彼の完璧主義は幼少期で目覚め、今もなお彼のアイデンティティの軸として存在し続けている。

STUDENT LIFE

小学校時代

02

小学校時代

完璧主義と少数派思想。決められたことはきちんとこなす。

彼は小学校時代、親から強制されることなく、常に完璧を目指す姿勢を持っていた。 小学3年生からは1学年上の算数ドリルを課され、ゲームへの情熱をモチベーションに、必死にこなした。 この経験が彼の基礎学力を築き、ほとんどのテストで満点を取るほどの学力を得た。 中学受験は友人たちの影響で決意し、小学6年生の6月から塾に通い始めた。 遅いスタートだったが、諦めずに努力を重ね、桐蔭中学校に進学。 彼の経験は、遅れてスタートしても強い意志と努力があれば目標を達成できることを示している。

浅見 貴則

小学校上がってからサッカーはクラブチーム入るんだけど、周りがうまかったから結構きつかったんだよね。
父親はそこそこ向上心が高いタイプというか志高くいけよ!っていうタイプで、 どこのチームに入るか決めようってなった時に、「地元のチーム」と「家から遠いけど強いチーム」があったのね。

で、なんか「弱いとこの1番上」をやるか、「強いとこの下」をやるか、どっちがいい? みたいに言われた時に、「弱いところの1番上になりたい」って言えなくて、強い方に行ったんだよね。

ルウク@mirr

強いチームってことは周りはもちろん上手い子ばっかりで、ついていけずに全然楽しく無かったのでは?

浅見 貴則

そうそう、サッカー嫌いだったよ。
結構嘘ついてたよね、好きなふりしてたよ。

カンタロウ@mirr

親の期待を勝手に感じて〜みたいな感じですよね。

浅見 貴則

そうだね。
でもそれは親の期待を裏切りたくないじゃなくて、「自分が怒られたくない」「がっかりされたくない」とか、自分寄りかもしれない。
だからさ、雨の日はもう最高よ! だって合法的に休めるじゃん?

行きたくないなんて口が裂けても言えないから。
チャリで20分強ぐらいかけて行ったんだよな、火木土日でサッカーだったんだよ。

ルウク@mirr

これ、ちょっと戻るんですけど小学校1000人もいたんですか!?

浅見 貴則

そう、やばすぎじゃない?

浅見 貴則

最後は5クラスあったかな?
正確には俺が学年が上がるにつれて増えてって、最後の方は1000超えてたって感じだね。

俺の学年から5クラスになって、下のクラスは7クラスとかあったかな。

ルウク@mirr

あと、小3から親から1学年上のドリルをノルマとしてやらされてたってどゆことですか(笑)

浅見 貴則

やらされてたね。
断ることとかできないから、文句を言うことなく必須タスクとしてとにかくこなすっていう。

ルウク@mirr

どういう経緯があって〜とか親御さんの考えというか狙いとかは気になりますけどね。

浅見 貴則

知らない。全然わかんない(笑)

浅見 貴則

勉強しろとは言われたことないの。
ただ、1学年上のドリルはノルマだった。 しかもすごい鬼畜モードで、ドリルだから解説がないのよ。 ドリルだからいきなり問題なのよ。

でさ、知らない分野だしわけわかんなくて。
ほんとね、解説が3行ぐらいしかないんだよ。 それだけで知らない範囲やらなきゃいけなかったから、終わってたほんとに。

カンタロウ@mirr

勉強嫌いだったので、僕だったらもう逃げ出してますわ・・。

浅見 貴則

でもさ、なんか俺はもうそん時から完璧主義だったかわかんないけど、「やるべきことは全部やる」ってのがなんか基本だったから。

別に親から強制されてたわけでもなく。
だから、ドリルが終わんないとゲームができなかったから、朝早く起きてドリル倒してから学校行ってた。

ルウク@mirr

なんでもできる子だったからこそ、「できる子」で居続けたかったんですかね。

浅見 貴則

そっちだと思うわ。
別になんか何取り沙汰して褒められたりとかもしてないんだよ、別に。

浅見 貴則

でさ、わかんない!って出して採点されるわけ。
バツだけで返ってきた答案は直さなきゃいけないからさ。

でも、手がかりがないじゃん?
そう、だから調べようもなくて、ただバツだけが返ってきてっていう闇のゲームだった、マジで。

ルウク@mirr

間違ってるところは分かっても解説がないから直しようがないんですね。

浅見 貴則

そう、だからもう意地の張り合いだよ。
バツなのにもう1回同じ答え書いて出して、バツで返ってくるっていう(笑)

「答え、絶対これだから!」みたいな、「絶対あってるから!」みたいな、そういうやり取りもあったわ。

ルウク@mirr

間違ってるのに抗うの面白いですねw

浅見 貴則

まあでもそのおかげでね、算数は勝手にできると思ってたからね。
結構スパルタ教育というか、無理やり底上げされたから、できるようになっちゃった。

俺が偶然にというかさ、言われたことは反抗もしないで仕方なくやるタイプだったから、いいものを取り入れてくれたよね。

ルウク@mirr

だからといってご両親もなんでもかんでも強制してきたわけじゃないし、ちゃんと今後を見据えてタスクを与えているのがすごいですね。

この特訓が、数学得意に繋がるんですかね。

浅見 貴則

結果ね。
1学年上のドリルがなければさ、なんか取りたてて「数学ができる!」とか思わなかったし。
でも、やっぱ「数字は使えないとやばい」って親が思ったんじゃないのかな?

ルウク@mirr

でも勉強は好きじゃ無かったんですよね?

浅見 貴則

もちろん、全然好きじゃないよ。
タスクを常に抱えていたくなかったから朝早くにドリルを終わらせて、とにかく家に早く帰ってゲームするっていう。

友達とゲームすることだけを考えてたから。

カンタロウ@mirr

小学校ではどんなキャラでした?

浅見 貴則

自分のキャラクターは中心人物ではなかったけど、なんでもできる最強キャラだったかな。

リーダー的な立場をよくやらされるけど、目立つのが嫌いだし、何より先頭でやるのが嫌だったね。

ルウク@mirr

矛盾というか、なんて言うんだろう。
なんでもできるからこそ目立ちたがるのかな?と思ったら、そういうわけじゃないんですね。

浅見 貴則

え、だってゲームの時間が減るやん。

ルウク@mirr

本当にゲームのことしか考えてなかったんですね笑

その、ちやほやされる〜とかはゲームの時間が減ると関係ないじゃないですか。
「勉強もできるしスポーツもできてすごいな!」みたいに言われるのはなんで嫌だったんですか?

浅見 貴則

確かに嫌だったのはなんでだろう。
なんか、学校自体がめんどくさいタスクだったんだわ。

だからなるべく何もなく終わりたかったんだよ。
「楽しい」とか「楽しくない」とか、そういうレベルの話じゃなかった。

ルウク@mirr

本当にゲーム好きなんですね。今も好きですもんね!

浅見 貴則

そうだね。
あと、朝の時間ってゲームできないのよ。

ルウク@mirr

流石に朝からゲームは禁止されてました?

浅見 貴則

いや多分ね、俺が隙間時間は全部ゲームに費やしてたからだと思うよ。
ちょっとゲームの意識が高すぎたね。

お菓子食いながら、片手でポケモンやりながらドラえもん見てんのが最高だったんだけど。
さすがにこれは親的にはダメだったの。
「どれかにしろ」って。

ルウク@mirr

他の子より色んなことができても前に出たくないとか、ゲーム好きとか、結構インドア派ですよね。
僕は「調子に乗って前に出たがるタイプ」だったので、浅見さんの「幼いながらの謙虚さ」は不思議に思いますね。

浅見 貴則

全然俺より受験勉強頑張ってたやつとかを見てたりしてたからかな?
サッカーの練習行ったら、強いチームに入ってるから自分より周りの方が全然できるから。 そんな環境だったからさ、あんまり「前に出よう」とも思えなかったのかもね。
それこそさ、なんか山とか行くの楽しくなかったから、シンプルにアウトドア派じゃないんだよ。

あと、「みんなと笑顔でワーワー喋る!」みたいなタイプではなかったから。
小学校時代からやっぱり陽キャに対しては「ちょっとね〜」っていう感覚はあったよね。

ルウク@mirr

でも「隠キャ」ではないじゃないですか。

浅見 貴則

そうだね。だから中立みたいな感じ。
1番タチ悪いよね。根は陰キャだけど、陰キャは嫌だ!みたいな。

ルウク@mirr

でもどっちとも上手く関わるタイプですよね。

浅見 貴則

そうだね!
だから意外と派手な友達も結構いるし、めっちゃ陰キャもいっぱいいる(笑)

ルウク@mirr

家庭環境についてもうちょっと聞きたいんですけど、お父さん話しかけづらいとか、なんかすげえ厳格っていう感じではないんですか?

浅見 貴則

いや、でも多分「やや頑固系」だと思うよ。
話しかけづらい系だと思うし、会社だと死ぬほど怖いらしい、噂によると。

だから出てんだろうね、そういう意味でオーラは。

ルウク@mirr

例えばお父さんに話しかけて、「今忙しいから後にしろ!」とかそういうのはあったんですか?

浅見 貴則

いや、なんなら家では全然そういうモードじゃないよ。そういうの見たことないね。

ルウク@mirr

お母さんも同じ感じですか。それとも…?

浅見 貴則

結構優しい系。相当優しい系じゃないかな? むしろ「過保護系」だからね。

ルウク@mirr

1人暮らしとかもあんま許してくれない感じ?

浅見 貴則

あー、俺がしたいって言ってなかったからね。

でも、あれやれこれやれって言われたわけではないよ。
俺があんまり「両親に対して要求しなかった」みたいなのがあるから。

浅見 貴則

話戻るけど、小6の6月ぐらいかな?
なんか何を思い立ったのか、中学校のことを考えた時に、仲良かった友達が受験組だったから絶対そっちだろと思っちゃって。

1学年で言うと200人弱ぐらいいるんだけど、そん中で受験組がたった「12人」だったというのもあって。

ルウク@mirr

その時からもう少数派思想が芽生えてますね。

中学受験の時期って塾通ってましたか?

浅見 貴則

それこそ仲良かった友達が四谷大塚だったから四谷大塚にしたね。

ルウク@mirr

あーガチだ…

浅見 貴則

四谷大塚行ってた友達は小3から通ってたから、どんどん勉強が先に進んでるし、普通に入塾しても「ついてくるのは難しい」って最初言われたわけよ。
で、なんか親がそのドリルの特訓の説明して、じゃあちょっと体験がてら「2週間くらいやってみますか!」みたいになって入れてもらって。

前からドリルも全部わかんないけど、四谷大塚の授業も全部わかんないからさ(笑)
ひたすら頑張って聞いて、ノートにとって〜みたいな。
そしたら、算数だけはなんか「ちょっとついてこれそうだから」って言って、なぜか入塾オッケーしてくれたの。

ルウク@mirr

僕も中学受験したんで、四谷大塚の難しさ知ってるんです。 a3ぐらいのなんか青いテキスト(笑)

僕が通ってた塾でも四谷大塚の教材は最頂点に君臨してて、なかなかやらせてもらえなかったです。「君にはまだ早い」って。
正直、学校の授業とは次元が違う難しさでしたね。

難関中学を目指すほぼ全ての受験生は、四谷大塚の教材と触れ合っていると言っても過言ではないのではないだろうか?

浅見 貴則

それで入ったはいいけど毎週テストでさ。
受験期はさすがにサッカーから離れて、17時から21時まで塾に行って、家に帰って夜中に勉強するっていうのをずっとやってた。

完璧主義はずっと抜けてなかったから、やっぱできないことに対して努力を惜しまなかったね。

カンタロウ@mirr

すごいですね、小学生でそこまでストイックに取り組めるなんて。

浅見 貴則

勉強だけじゃなくて、サッカーもめちゃめちゃコンプレックスあったから。
友達と遊んで17時で帰ってくるじゃん?そっから家の前でリフティングやって、ランニングしてたんだよ。自分で勝手に。

「できない自分が嫌」だから、めちゃめちゃ自主練してたね。
だから受験期も夢中で勉強に取り組んでたって感じ!

ルウク@mirr

志望校って最初っから桐朋(トウホウ)だったんですか?

浅見 貴則

塾の友達みんなが桐朋狙いだったから桐朋だったってだけ。
偏差値65ぐらいなの、バカ高いんだけど。
かっこ男子校ね?

ルウク@mirr

かっこ(笑)

浅見 貴則

別に理由はあんまなかったよ、みんなが目指すから。
なんか親的には、それでいいらしかった。

で、滑り止めで桐蔭受けて、桐蔭(トウイン)に行くんだけどね。

ルウク@mirr

改めて、「元々勉強できて、失敗経験なしの超秀才キャラ」としてなぜか定着してる浅見さんですが、中学受験も第一希望には受かってないし、ちゃんと失敗してますよね。

浅見 貴則

そう、だからこういう話を自分で何回言っても信じてもらえないんだって(笑)

STUDENT LIFE

高校時代

04

高校時代

東大ではなく、東工大へ。少数派思想が響く進路選択と現役受験の惨敗ストーリー。

高校では彼は理数科へと進んだ。「算数ドリルの試練突破」という、どこか幼い動機が燻っていた。数学は得意だったが、将来の夢もなく、文理選択も消去法で決めていた。
1学年1600人のマンモス校で、彼は新たなスタートを切った。高校3年時には、男女混合クラスという変化に戸惑いながらも、新鮮な刺激を感じていた。サッカー部を辞め、団体競技からも離れることを決意した彼は、卓球部に入部。周囲が基礎練習に励む中、彼は型破りなプレースタイルで自己表現を試みた。その自由な発想を許容してくれた環境で、彼は卓球にのめり込み、”継続は力なり”の精神を体現していった。
しかし、ゲームへの情熱は変わらなかった。相変わらずゲーム中心の生活を送る彼にとって、次第に難しくなる勉強は大きな壁となった。成績順で分けられるレッスンでは上位に食い込むものの、模試の結果は芳しくなく、現状に満足することはできなかった。
それでも彼は、「遊ぶ時間を最大化したい」という思いを貫き、ゲームができない時間に全てのタスクを終わらせるというスタイルを崩さなかった。
東大ではなく東工大を選んだのは、彼の「オンリーワン」であろうとする少数派思想の表れだった。
iPhoneを使わないのも、多数派の選択を避ける彼らしい選択と言えるだろう。現役時代はひたすら難解な教材をこなすも、模試はE判定。秋にはストレスで食事も喉を通らなくなり、孤独と焦燥感の中で彼はもがき苦しんでいた。周囲は彼の「ただならぬ受験オーラ」を見て、成績が上がらない現実を真正面から指摘してくれる人はいなかった。彼は孤独だった。そして、その孤独は、彼を間違った方向へと突き動かしていた。

ルウク@mirr

桐蔭は中高一貫校だから高校もそのままですよね!

浅見貴則

うん、そうだね。

ルウク@mirr

高校の勉強は順調でしたか?

浅見貴則

だんだんと学校の勉強がきつくなってきて、模試の手応えが悪くなってきたんだよね。

やっぱみんなどんどん勉強してくるっていうのと、単純にずっと部活だったからね。 付け焼き刃の勉強じゃ回らなくなってきたんだよね。

ルウク@mirr

それでも、勉強はちゃんとやってたんですもんね!

浅見貴則

日常的にやってたわけじゃないけど。
先生に言われたくないから宿題は全部やってたし、テストはいい点取りたかったから直前はめっちゃ勉強してたけど、 なんか「日常的に板について勉強する」とかそういうのではなかった。

もうほんとにね、どこまで行っても「遊ぶ時間を最大化」したかったんだよね。

浅見貴則

あ、移動中に漢字とか英語とかやってたのよ。
移動中ってさ、ゲーム持っていけないからゲームできないじゃん? ゲームできない時間に、他の全てのタスクを終わらせるっていう。

家にいる時間はなるべくゲームしたかったんだよ、とにかくずっとゲーム。

ルウク@mirr

「遊ぶ時間の最大化」って浅見さんぽくていいですねw
文理選択はもちろん理数系ですよね?

浅見貴則

小学校の時にやらされてた算数のドリルの影響もそうだけど、やっぱ算数ができるっていう評価のもとに来てるのもあって数学はちょっと自信あったっていうのもあるんだけど、 勉強自体は好きじゃなかったんだよ。

誰も信じてくんないけど、勉強は好きじゃなかったから。
でも文理選択しなきゃいけないってなって、数学は苦手じゃないし1番嫌じゃなかったから理数系にしたってだけ。

ルウク@mirr

周りはみんな東大志望だったんですか?

浅見貴則

そうだよ、周りはみんな東大希望だったから。
なんかさ、「東大なんだ〜すごいね!」って言われるのが嫌なんだよ。 受験の辛さを知らない人に東大すごいねみたいに言われるのは結構最悪。
どんだけキツいか分かってねえやろ!っていう(笑)

だから東工大にした。東工大って受験界隈では知られてるけど、世間的には「どこそこ?」って感じでしょ?

↑一緒に東工大 大岡山キャンパスに行った時の写真

カンタロウ@mirr

浅見さんに会うまで東工大の存在は知らなかったですね。

ルウク@mirr

それで、現役はどんな感じでした?

浅見貴則

それでマナビス(当時、画期的だった映像系の塾)に入塾したんだけど、志望していた大学よりも学力の低い先生が多かったんだよね。 いい人たちだったけど、成績が上がってない現実を指摘してくれる人がいなくて、復習の概念がなかったから全然ダメだったんね。

ルウク@mirr

復習を取り入れなかったことが原因っていうのはちょっと聞いたことありますけど。
その時の勉強スタイルを詳しく教えてくれませんか? 

浅見貴則

とにかくマナビスの1番難しい教材を、片っ端からやってたんだよ。
マジで「理解すれば点取れる」と思ってたからさ。
そのスタイルで難しいやつばっかりやって、復習は一切してなかったんだけど、学校の成績はよかったんだよね。

復習をやってなかったってことは、やっぱ「忘れちゃう」ってことなんだよね。
その問題見て、解説は読めるんだけどとっさに「あ、この問題この前やったわ!」ってできないんだよ。

浅見貴則

それこそ俺が多分受験モードで相当オーラが出てたんだと。
そのせいで、塾の先生はあんまり俺に勉強方法のツッコミを入れる余地すらなかったんだと思う。

塾の先生たちからすると、自分たちよりも高いところを目指してて最難関大目指す人の勉強時間・勉強量とか、模試がどんな感じで上がってるといいかとか、そういうのもわかんない。
それでずっと模試はE判定だった。

全国偏差値は52前後で、東工大は常にE判定。
ちなみに東工大のA判定をとるには、偏差値70以上は必須である。

ルウク@mirr

僕は浅見さんの現役時代の模試の結果を見せてもらってるんで知ってるんですけどね。

浅見貴則

今の生徒にも、「俺、E判定だった.…」っていうんだけど、誰も信じてくれないからさ…。
ずっと「現役はボロボロだった」って言い張ってたと思うんだけどね!

ルウク@mirr

「元々勉強できたんでしょ?」って見られやすそうではありますね、確かに。

浅見貴則

コミュ障の話もそうだよ。
「対人関係が苦手だったから、めっちゃ練習してできるようになったんです!」って言ってるんだけど、 誰1人信じてくれないよ(笑)

ルウク@mirr

その話は大学時代に繋がりますよね!現役受験はストレスが酷かったんじゃないですか?

浅見貴則

もうストレスと焦りで、入試当日具合悪かったね。
「ご飯食べる時間取ってるとかなめてんのか」って自分に思ってた。 成績が上がってない現実があったからさ。

浅見貴則

でもなぜか、「勉強のやり方が悪いんじゃないか」みたいな発想がなかった。
とにかく頑張ってればできるみたいな。

今だからそういう言い方ができるんだけど、なんか「100パー頑張ってるから受かんなくても許して」みたいなのがあった気がする。
神風特攻すれば、責務を全うしたと思われるみたいな、そういう感覚があったと思うわ。
だから、もしかして冷静なアドバイスをしてくれてた人がいたかもしんないけど、あえて聞いてなかった可能性はあるよね。

ルウク@mirr

現役の時、東工大の数学ってどれくらい立ち向かえたんですか?

難関大の中でも、東工大の数学は最高峰に君臨する難易度だと言われている。

浅見貴則

え、0点じゃない?普通に。

ルウク@mirr

解答埋めるのはできた..?

浅見貴則

埋めた、埋めたけど答えが合ってなきゃ意味ないし。

数学の試験における、「答えに辿り着かなくても、途中点を取りにいく」という考え方は、彼にとっては非常に納得がいかないようだ。
「答えに辿り着かなければ意味がない」という彼の数学に対する考えを、「小学校の頃は1+1=2を1+1=3と書いたらバツだったのに、受験数学になったからといって答えが間違っているのにも関わらず途中点を期待するのは甘すぎる。」と表現している。

ルウク@mirr

あら。確かにこれは誰も信じてくれなさそうw

で、結局青学だけ受かったんですよね!

浅見貴則

卓球部の同期にさ、性格はめっちゃいいやつなんだけど、勉強はできない医学部志望のやつがいて。

受験終わった後、そいつと卓球しにいった時に「青学だけ滑り止めでラッキーパンチで受かってたんだけど」って言ったら「青学?いいじゃん!」って言われたのが、めっちゃムカついて(笑)

ルウク@mirr

これが浪人の決意のきっかけですか(笑)
親御さんはどうでした?

浅見貴則

いや、浪人したいってのは親になかなか言えなかったんだよね。
親は、青学で本当に超大喜びしてたから。

浅見貴則

もうね、青学のイメージが苦手すぎて…。
苦手もそうなんだけど、「ついていける自信がない」みたいなのが正しい。

なんか「金髪にしないと無理なんじゃないか?」ぐらいの感覚だったんだよね。
陽キャばっかのところは結局得意じゃなくて。同じテンションでついていけないんだよ、今もそうだけど。

ルウク@mirr

青学は手応えありましたか?

浅見貴則

まあ、ギリギリかな。 まあ手ごたえは、早慶よりは良かったかな。

だって東工大に向けて勉強してたからね。

浅見貴則

でも、やっぱりやり方の問題で、勉強してたから学力はあったんだけど、本番で力を発揮する練習とかを全然してなかったから。
だから解説も読めたし「考える力」はあったんだけど、「制限時間以内に正解を出す」っていうところには全然フィットしてなかったよね。

なんていうか、めちゃめちゃマッチョなんだけど、「インサイドでしか蹴れない」「ディフェンスってどうやって動くんすか?」みたいな感じ。

ルウク@mirr

「戦えないボディービルダー」みたいなことですかね!

浅見貴則

そうそうそう。勉強してたから学力はあったから、解説読んでもわかんないことがあったわけじゃないんだよね。

ルウク@mirr

わかりますわ・・・。
英単語でも見れば意味がわかるけど、和訳から英単語を思い出せないっていうのに近い感覚ですよね。試験では一方通行の知識じゃ通用しないですよね。

浅見貴則

ペーパーテストって、「試験時間以内に全ての問題に答案を書かなきゃいけない」っていう学力じゃないところも問われるんだけど、そこはほんとにカスだった。

まず自分が今まで学んでいたことを思い出せない。
問題を1から考えて、1問に対してじっくり時間を使ってたら大問3・4個あるからどう考えても終わらない。

浅見貴則

それでさ、学力のせいじゃなかったのに、「もっと勉強しよう」っていう振り返りになって、もっと勉強しなきゃみたいになった。
そのときは「理解したからオッケー」っていう認識だったんだよね。

だから、復習して本番ですぐ出すっていう意識が全然なかったよね。
反応スピードがね、ほんとにダメだった。

浅見貴則

「解くのに時間がかかっちゃう」とか、「手が止まっちゃう」とか、そういうのが多かった。

ルウク@mirr

僕も受験経験したのでわかります…。
めちゃくちゃインプットに時間かけたのに、アウトプットの練習(初見の問題演習)をしてなかったから、本番では戦えないっていう。

浅見貴則

本来逆なんだよ。先に必要な筋肉をつけるべきなんだよね。

あとは、「映像系の塾」っていうのがミスマッチだったかも。
しかも当時は「映像系の塾」って新しくて、少数派タイプの俺は「いや絶対映像でしょ」みたいな。
同じ授業を何度も見れるし、分からないところは分かるまで聞けるし、 自分で好きな時に止めたり進めたりできるし最高じゃん!って思って入ったんだけどね。

カンタロウ@mirr

今、映像系の塾についてはどう思いますか?

浅見貴則

生徒からしたら結構きついと思う。まさに俺みたいなやつが生まれるというか。
アドバイザーが相当いい働きしないといけないと思うな。

今は分かりやすく説明する人も沢山いて、YouTubeとかchatGPTとかもあるから、自分のレベルに合わせて基礎知識から解説までやってくれるからね。
たまに間違えてるけど(笑)

ルウク@mirr

そうなると、今後のその塾の先生の立場とか役割ってどうなっていくんでしょうね。
解説とかだってAIがやってくれちゃうし、気を遣わないでいくらでも聞けるし。

浅見貴則

結局、 今のchatGPTとかYouTuberの方がわかりやすくない?みたいなのを全員が理解する時代は来るのかどうかって話だよね。
なんなら最後まで来ないかもしれない。

やっぱり、「ちゃんと人に教わりたい!」っていう人は沢山いるからね。

浅見貴則

そういう勉強の手段を経験している大人から産まれた子供はそういう感覚で塾を見ることができるんだけど、 そうじゃない人もたくさんいるわけじゃん。

今、情報格差相当ひどいから親の情報感度に思いっきり左右されちゃう。
子供が塾を選ぶっていうケースは稀だから。

浅見貴則

ってなると、塾のことを知ろうとはしないから、 勉強についてもそんな深く考えないっていう話にはなる。
という意味では「人から直接教わること」はニーズが残り続けるかもね。

あとは前から言われてるけど、「やる気スイッチを押せるかどうか」みたいな役割は人にしかできないよね。

浅見貴則

なんか、人間性っていうかさ。
「あの先生の授業は分かりやすいから」みたいな先生との信頼関係だよね。
今後の塾の先生で言ったら、俺はそこぐらいしか優位性がないんじゃないかなと思ってる。

塾の先生ってさ、日本の小中高校生が結構序盤で出会う「ちょっと斜め上の社会人」なんだよね。

AIには「やる気スイッチ」を押せない。
塾の講師の役割は勉強を教えることはもちろん、小中高校生が結構序盤で出会う「ちょっと斜め上の社会人」としての信頼関係の構築こそに価値があると語る。

事実、彼の経営するパラリアでは、卒業生が進路相談に舞い戻ってくることも珍しくない。

また、年一のパラリア忘年会では、卒業生はもちろん彼の関わる様々な業種の方々が集まる交流の場を提供している。
その後の関係まで視野に入れ、「生徒の人生を支援すること」こそが、塾のあるべき姿なのかもしれない。

GAP YEAR

浪人時代

05

浪人時代

恩師との出会いで、圧倒的飛躍。万全の準備で余裕をもって全勝。

青山学院大学への合格は、彼にとって満足のいく結果ではなかった。周囲からの「青学いいじゃん!」という言葉は、彼のプライドを深く傷つけ、浪人という茨の道を歩む決意をさせた。
浪人生活は決して楽ではなかった。それでも彼は、現役時代の失敗から学び、復習の重要性を痛感。持ち前の少数派精神で選んだ河合塾で、運命の師匠と出会う。癖の強い数学教師は、彼に受験のノウハウだけでなく、”計算ミスをしないためには計算しないこと”という、独自の勉強哲学を授けた。
師匠の特訓と猛勉強の日々。模試ではA判定を連発し、自信を深めていく彼。そして迎えた受験当日、彼は「これだけやってできなかったら仕方ない」と、落ち着いて試験に臨んだ。その結果、滑り止めを含め、全ての大学に見事合格。
彼の成功は、決して偶然ではなかった。現役時代の挫折、浪人中の孤独と葛藤、そして師匠との出会い。それら全てが彼を成長させ、最後に最高の形で報われたのだ。

ルウク@mirr

浪人を決めたのって、「青学いいじゃん!」って言われて悔しかったからだけじゃないなと思って。
浪人も勝算がないと流石に覚悟できないじゃないですか。

浅見貴則

どうなんだろうね。
正確に言うと、2月の頭に理科大の受験をするんだけど、その時に復習が大事だってわかっちゃうんだよ。
受験の2日前に、塾のテキストでやってた数学の問題があって、それとほとんど同じ問題が出たのに全然書けなくて。

で、そこから復習だけに切り替えたんだけど、国立受験までの残り半月くらいやっても当然間に合わないよね。

浅見貴則

だから、「復習をちゃんとやれば上がるかもしれない!」っていう勝算はあった。
浪人するかどうかを考えた時には自信はあったよね。

ルウク@mirr

ストイックに走り切れる体力とモチベーションは疑う余地がないですもんね。
「復習」さえすればいける!と確信できるのも納得できます。

浪人の時は塾通ってましたか?

浅見貴則

難関大志望は、やっぱり難易度も高いこともあって駿台派が多いのよ。 なんか予備校は駿台やろ!みたいな風潮が。

だから、「駿台だけは絶対行かない!」と思って、河合塾にいったね。
理由はそれだけ、みんな駿台だから。

ルウク@mirr

ここでも少数派思想がw
多くの人の安心が、浅見さんにとっての不安なんですね。

浅見貴則

なんか、大衆に紛れていく行為は基本的に俺は不安になるね。

ルウク@mirr

ほんと、少数派思想が小さい時からブレないですよね。

浪人の時の勉強スタイルというか、どんな毎日を過ごしてたのか詳しく聞きたいです。

浅見貴則

復習が大事って気づいてたから、予備校の教材だけやってればいいとは思ってなかったんだよね。
だから、リスクヘッジのために予備校の教材プラス宅浪の人がこなすぐらいの参考書やればいけるやろ!って思ってたわけ。

それで、予備校が始まる前にめちゃくちゃ調べてブックオフとかいっぱい周って、先輩とかから片っ端から話聞いたりとかして。
各科目「これでいけるやろ!」みたいな参考書セットを自分で考えて選んだんだよね。

カンタロウ@mirr

対策と準備がバッチリですね。

浅見 貴則

予備校の教材の予習を全部やって、授業中に予習と復習やってたの。 

週にどれぐらい進むって、予備校の場合わかってたから。
今日は第4回やってるなってところで「第5回の予習」をしながら、「第2回と3回の復習をする」みたいなことやってたわけ。 

浅見貴則

とにかく予習だろうが復習だろうが、なんでもやってた。

授業がない時間とかは、ずっと宅浪の気持ちで、市販の教材を片っ端からやってたし。
だから、シンプルに普通の受験生の倍の量やってたんだよね。

ルウク@mirr

自分で改善点を見つけられてたのは相当デカいですね。あとはやるだけ状態にできたというか。
さらに、やるだけになったらやれちゃうのが浅見さんの強いところですよね。

浅見貴則

で、通ってた河合塾の数IIIの授業持ってる先生が結構バグってる人だったんだよね。
もう引退しちゃってるんだけど。

浅見貴則

最初の授業の前に校舎長が出てくるんだよね。
それで、「彼は結構独特なタイプだから、嫌だったら言ってください」みたいな警告が最初にあって(笑)

昔のガチガチの先生だから、めちゃくちゃ怒るし、怒鳴るし、寝てたら注意するし、 めっちゃ唾飛んでくるし、何書いてるかわかんないし。
字がね、びっくりするぐらい汚いのよ。
そんな感じで、結構嫌われてた先生だったね。

浅見貴則

塾で用意されてる教材を「もうこんなのはやっても意味ないです」とか言いながら真顔で答えを書くんだけど、たった2行とかなのよ。
「これで丸が来るから、これ以上余計なこと書いても意味ないんで、こうやって書いてください」っていうわけよ。

ただ、答えが2行っていっても何を書いてあるか全然わかんない。

カンタロウ@mirr

尖りまくってますね〜。

浅見貴則

うん、そういう感じで性格は悪いのかもしんないけど、数学に関しては圧倒的だったんだよね。
もう、なんか説得力が凄すぎて。
間違いなくこの人、「数学バケモンだな」ってよく分かって。

だから、終わった後、質問しに行ってたわけ。
あんま好かれてないから、その先生に質問なんかしに行く人いなかったけど。

この先生が彼の大勝利のきっかけになる。そして、先生の「計算ミスしないためには計算しないこと」という名言は、今も尚彼の指導方針の根源となっている。

浅見貴則

なんか質問しにいっても最初は返事してくれなくて。
「君には難しいから答えないよ」 って言われて、結構悔しくてさ。
それで、質問をすげえ考えてから持っていくようになったんだよね、そしたらちょっとずつ返事してくれるようになった。

謎の雑紙みたいなやつにメモ(解説)をめっちゃ書いてくれんの。
なんか謎の切れ端をタッパーに入れて持ってて、その切れ端にひたすら書いてくれんのね。
全部なんて書いてあるかわかんないけど、「全部持って帰らせてください!」て言って、持って帰り〜考えて〜みたいなのを毎週やってた。

ルウク@mirr

この人が恩師になる人ですよね!

偏差値は現役の時に比べたら、どれぐらい上がりましたか?

浅見貴則

4月から始めるんだけど、5月の末にある第1回の河合の記述模試で、数学の偏差値が74。
現役の時51だから、20以上だよね。

浅見貴則

受験のノウハウは先生に直接と教わった部分が大きいかな。
やっぱりそれなりに考えて質問持っていかないと、それなりの返事が来ないわけで。

先生ってあんまり俺らのこと考えてなくて、「これ分からない人は難関大は無理です。」とか言いたいこと言ってんのよ。

ルウク@mirr

恩師の古風なスパルタ教育が、浅見さんの少数派思想とうまくマッチしてたんでしょうね。
ほとんどの人がついていけない先生だからこそ、ついていくぞ!って。

浅見貴則

そうだね。自分なりに解釈したものを先生に持ってたりとかして、仲良くなってからは分かりやすく親身になって教えてくれて、いくらでも時間を使ってくれたよね。
あとは、先生が俺のためだけに問題出してくれるようになったりもした。

その過程で「勉強方法」の話にもなるわけで、「勉強に対する姿勢」の部分で学ぶことが多かったかな。

浅見貴則

秋冬以降もその先生の授業自体は続くんだけど、先生は予備校が用意してる教材を一瞬で終わらせて、 先生が勝手に配ってくるプリントをやるんだけど、正解するのは俺だけなんだよね。

ルウク@mirr

なんか恩師の無茶難題に食らいついてたら、結果的に数学が最強になるっていう。 他の科目はどうだったんですか?

浅見貴則

やっぱりね、1教科を先に伸ばすって有利だなって思うね。
他の教科に応用できたっていうところは結構良かった。

そう考えると、成績が伸びたのは先生100パーセントじゃないと思う。
現役の時の反省を踏まえて参考書とか選んだり、隙間時間に音読始めたのがよかったんじゃないかなとは思うけどね。

ルウク@mirr

そしたら浪人の時には、「東工大に届かないのでは?」みたいな不安はもう無かったですか?

浅見貴則

ベストを尽くす姿勢はずっとあったからさ、集中できてた。
結果的に、第1回模試からいい結果出たから走りきれたよね。

COLLEGE LIFE

大学時代

06

大学生活

充実したキャンパスライフと起業へのみちしるべ。

大学入学後、彼は軽音楽サークルや卓球部での活動を通して充実した日々を送っていた。コミュニケーションスキルを磨く努力も怠らなかった。そんな中、mixiで出会った経営者との交流が彼の人生に転機をもたらす。彼らの影響を受け、彼も「自分のやりたいことは何か?」と自問自答を繰り返すように。
やがて彼は、「塾がやりたい、受験サポートをしたい」という答えを見つける。しかし、その道のりは平坦ではなかった。ビジネスセミナーでの詐欺被害により多額の借金を背負い、一時的に夢を諦めざるを得なかった。
借金を完済し、再び夢に向かって歩み始めた彼は、ブログでの情報発信やセミナー開催などを通して着実に実績を積み重ねていく。大学院に進学後も模索は続き、再び人との出会いを求める中で、出版記念パーティーで出会った気さくなおばちゃんから、塾経営者を紹介される。
「塾、やってみないか?」その言葉に背中を押され、彼は起業を決意。過去の借金経験から得た不屈の精神を胸に、2016年春、ついに自学自習型大学受験塾「パラリア」をオープンさせた。

カンタロウ@mirr

本格的にドラムを始めたのは大学でしたよね、バンドをやってたんでしたっけ?

浅見貴則

そうそう、大学のサークルがあんまり広報がちゃんとしてなくて、音楽サークルが3か所ぐらいあったんだよね。

ロック研究会は看板があったから友達と一緒に見学に行ったら、 「どんな曲とかアーティストが好きなの?」って聞かれて、「椎名林檎とかスピッツが好きです」って言ったの。
そしたら、ロック研究会はメタルが中心だから、「うちじゃなくてフォークソングサークルの方がいいよ」って言われたわけ。

ルウク@mirr

フォークソングサークルってなんですか?

浅見貴則

東工大のフォークソングサークルは全然フォークソングじゃなくて、普通の軽音なの。
名前が「フォークソングサークル」ってだけで、全然フォークやらないし(笑)

でもフォークソングサークルにツテはなかったわけ。
フォークソングサークルの場所がどこにあるかわかんなくて、詰んだのよ。 コミュ障の俺は単身飛び込めるわけでもなく…。

カンタロウ@mirr

本当にコミュ障だったんですね(笑)

浅見貴則

で、諦めてたら物理実験で初めましての人とペア組んで実験するきっかけが訪れた。

俺が手癖で机を叩いてたら、ペアの子が「なんか楽器やったりするんすか?」みたいなところから始まって。
奇跡的にそいつがギターやってて、フォークソングサークルに行くやつだったの。

浅見貴則

その物理実験の次の日が新入生のバンドを組むための飲み会みたいなやつで。
そいつが電話してくれたおかげで入れたんだよね。

しかも、そいつとはずっとバンドを組んで、ずっとスピッツをやってた。
結婚式にも来てくれたんだけど!

ルウク@mirr

あの髪長い人ですか? かっこいい人ですよね。

浅見貴則

そう、マジでギタリストって感じ。 性格と髪がめちゃめちゃ尖ってんだけど(笑)
マジでイケメンなんだよ。 今でも自分で曲作ってたりしてるしね。 

ルウク@mirr

ある意味コミュ障だからこそのきっかけを掴んだことによって一生の友人を獲得した、結構奇跡的な出会いですよね!

浅見貴則

うん、この辺とかはバリバリコミュ障だよね。 軽音と併せて卓球部も入ったんだけど、 本当にずっとコミュ障だよ。

卓球部もなんかすっと入った雰囲気出してるけど、全然違くて。
浪人の時の先生のところでちょっと伏線あるんだけど。

浅見貴則

この先生さ、東工大対策用の特別講義みたいなやつを「来たいやつだけ来い」みたいな感じで秋に勝手にやるのよ。
その先生も東工大出身だから、東工大志望が大体参加するんだけど。

そこに、この先生の教え子の東工大生がくんのよ。
その先輩に連絡して色々教えてもらって、その先輩の名前出せばいけるっていう、なんか1個武器を与えられて(笑)

浅見貴則

で、健康診断の時に、サークル勧誘の花道ができるんだけど、なぜか卓球部は勧誘やってなくて。

そのあとに入学式があるんだけど、自己紹介の時間で「卓球部に入りたいです」って言ったやつが2人いた。
一人はどう考えても喋り方がおかしくてさ(笑)
喋り方がおかしくない方に俺から話しかけて、「一緒に行きませんか?」みたいな。
そういう感じで、頑張ってやっと行ったんだよね。

ルウク@mirr

あれ、卓球部とバンドどっちもやってたんですか!

浅見貴則

そうだよ。 で、その時に話しかけた人が、俺が唯一自分から話しかけた人なんだよね。
そいつが俺の代の部長やるんだけど。
あとね、ドラムに関してはマジでラッキーだよね。もう本当諦めてたから、超ラッキーって感じじゃないかな?

ルウク@mirr

そういえば、もう大学2年くらいから起業への伏線が始まりますよね。

浅見貴則

うん、その当時ミクシィをやってたんだけど。
この話結構熱いんだけど、ミクシィで知り合った人と会うことになって、断れなくて(笑)
それで、会いに行ったらめっちゃチャラい人が出てきて、 いきなり「初めまして、君は将来何がしたいの?」って聞かれてさ。

浅見貴則

それでアタフタしちゃって、「いや、特に何も~」って言いつつ、経営工学だったから「なんかやりたいことができた時にお金の勉強しとけば役に立つと思って~」みたいな、大人が納得するいつもの言い方をしちゃったわけよね。

そしたら、 なんかその人が「君は社長をやりたいんだね!」って言って。そんなこと言ってないのに(笑)
そういう理解になって、「いや、そうではなくて~」とか言ってるうちに、「学生で社長やってる人がいるから紹介してあげるよ!」って言われて、その場で電話し始めちゃったんだよ。

ルウク@mirr

いきなり電話しちゃうところとか、チャラいね~(笑)

浅見貴則

それで俺がアタフタしてるうちに電話が始まり、学生で会社やってる人が会ってくれることになっちゃったんだよね。
メールアドレスまで貰っちゃったからもう行くしかないじゃん。
それでメールして、約束を取り付けて、新宿のルノアールで会うことになるんだよね。

カンタロウ@mirr

この時って、どういうモチベーションだったんですか?大学生活に満足してなかったとか?

浅見貴則

いや、全然。部活もやって、音楽もできて、やりたかった塾でのバイトもしてたから俺の中では大学生活は超満足してたわけ。
週7ですごい満足度の高い忙しさだったから。

超満足してたのに、なんか「大学生で会社やる」みたいな話は今だと良く聞く話かも知れないけど、 当時は「学生で会社できる」みたいな発想ってなかったから。
それを知った時に、「いや、そっちにチャレンジする方が確実に面白くない?」みたいに思っちゃうのよ。

浅見貴則

満足度のゲージが100分の95ぐらいあったんだけど、上限は1000ぐらいあったことに気づいて。
俺の持ってた上限値が100だっただけで、「実は学生中に会社をチャレンジするっていう人を間近で見ることで、1000ぐらいの枠が本当はあった」ってことを知って。
「そっちに向かってチャレンジしたい」って思うようになったのよね。

浅見貴則

自分より年齢が高い社長に「話聞かせてください!」って会って、「その年からそういうこと考えててすごいね〜」みたいに言われて満足してたんだよね。

それだけで満足してたんだけど、同い年が出てきちゃって。
そいつがもう会社をやってたんだよね。

ルウク@mirr

ちゃんと悔しがりますよね。
そこが結構モチベーションになっているというか、浪人の決意の話もそうですけど。

浅見貴則

同い年で、さらに同じく学生でもう会社をやってた人が出てきちゃったから、その時に初めて自分がやりたいことは何か?っていう問いが現実身を帯びていった。
承認欲求が満たされたところから食らったよね。こいつには確実に負けてんなと思ったよね。

ルウク@mirr

悔しさを抱くのと同時に、自分のやりたいことは何かを考える時間だったんですね。

浅見貴則

そのあと1ヵ月ぐらい人に会うのをやめて自分と向き合って考えてたんだけど、浪人時代の恩師の影響があって、やっぱり塾をやりたいってなっていったんだよ。

カンタロウ@mirr

浪人時代の先生に憧れて塾をやりたいってなったんですね!
具体的にはどういったところに憧れたんですか?

浅見貴則

あー、そうだな。 なんかね、かっこいいなって思っちゃった理由としては、先生が「嫌われてたから」だね。

東大が嫌とかもそうなんだけど、なんかね、名声があるってなった時に勘ぐっちゃうんだよね。
「有名だからありがたがられてるだけ」というか、「有名だから金が流れてるだけ」というか。
有名ってことは中身と直接関係ないんじゃないか?ぐらいな気持ちだったわけよ。 今はそこまでは思ってないけど。

ルウク@mirr

すごい浅見さんっぽい(笑)

浅見貴則

先生は結構ひん曲がった性格なんだけど、でもその状況で俺もそうだし、1個上の先輩もそうなんだけど、 着実に目の前の1人だか2人だか3人だかの人生は完全に変えてるわけじゃん?

だから俺も「そういうタイプになりたいな」っていうのはあった。
あとは、塾っていうこだわり方が結構かっこいいなって思っちゃったんだよね。

カンタロウ@mirr

少数の個人に対して、 すごい深く理解してコミットすることに惹かれましたか?

浅見貴則

そうだね。もちろんさ、少数にしか与えたくないとかそういうのではないんだけど、 そのスタイルがいいなとは思ったよね。 

浅見貴則

就活とかの時に、周りの友達の話とか聞いてて思ったことでもあるんだけど、影響力が出しやすいところに行くっていう発想がみんな結構あんのよ。
それこそ国とかの機関とかに行けば、自分の仕事が大勢の人に影響を与えるみたいな。そういうところって結構判断基準の1個になったりするんだけど。

俺、そっちに全然いいと思わなくて。 「影響の人数」じゃなくて、「深さ」じゃね?っていう。
そっち側でバリューを出したいなって思ったんだよね。

浅見貴則

だから塾経営をする上で、自分自身が現場を辞めたくないし、展開もしたくない。
「もっと稼げるから展開しようぜ」みたいな話は、絶対刺さんないわけ。
展開すると浅くなっていくじゃん、だから金を稼ぎたいわけじゃないんだよね。

だからそれでいくと、先生とかは深さ勝負で言うと「最強格」なんだよね。
なんなら予備校から変な先生扱いで「やばかったら言ってください」「 授業を変えます」みたいに煙たがられてるから。
でも、あの数人(浅見を含む東工大に進学した生徒たち)の人生は変えてるってことはさ、相当インパクトすごいじゃん?

カンタロウ@mirr

浅見さん以外にファンはいたんですか!

浅見貴則

何人かついて行ってる生徒はいたけど、俺ほどのファンはいなかったかな。
でも、歴代1人ぐらいいんのよ、上にも1人いて、その上にも1人いて。
しかもその人たち全員東工大なんだよね(笑)

ルウク@mirr

すげえ…なんか相当見極めてるんですかね。

浅見貴則

うん、その先生が勝手に見極めて選んでんのか、俺みたいな変なやつが毎年1人ぐらいついてってんのか、よくわかんないんだけど。

そのスタイル、かっけえ!って思っちゃったんだよね。
だから、自分の理想像として「世間で有名っていうわけじゃない、知る人ぞ知るなんかエネルギーが高い人」っていう風になりたいよね。

浅見貴則

うん、そこが足を足を引っ張って、発信に躊躇してたわけ。
最近はstand.fmっていうラジオアプリで毎日投稿してるけどね(笑)

ルウク@mirr

発信しなきゃ!とはずっと言ってた記憶がありますが、そういう理由だったんですね!

最近、毎日投稿めっちゃ頑張ってますよね!

浅見貴則

その理想像から考えると、自分から発信して名を売ろうっていうのは理想像から逆行することになるんだよね。
有名になって人が集まってきちゃうから。

今となっては、「集客方法はこだわるものではない」って思ってるから、全然今そういう感覚ではないんだけど、当時はやっぱそうだったし、 理想系としてはそれがいいよね。
みんなから有名になりたいわけではなくて、知る人ぞ知るポジションにはなりたいよねっていう。

ルウク@mirr

この話の続きはビジネスストーリーの方が良さそうですね!

起業に向けて歩みを進めているところで、借金する話を聞かせてください!

浅見貴則

うん、そうなんだよね。
起業の準備道中でぼったくりにあって、時間もお金も失った。
大学3年で借金110万までいったね、今となってはいい経験だと思えるけど。

ルウク@mirr

えっと、あれですよね、起業セミナー?みたいな。

浅見貴則

そうだね。俺みたいなタイプってカモで、言いくるめられてたの。
塾とか会社をやるためには、「お金の勉強をしなきゃいけない」とか、「会社をやるためには営業力がないといけない」とか言われるわけよ。

俺言うてさ、自分は頭いいと思ってたし、理屈は通ってるわけ。
なんか、勉強会みたいなところに結構高額払って入っちゃったみたいな感じ。

ルウク@mirr

いつ借金は返し終えたんでしたっけ?

浅見貴則

流石にやばい!ってなって借金を返すことに専念し始めて、大学3年目の秋で借金を全部返した。
部活の友達に遊びに誘われてにお金がなかったから断るしかなかったのは辛かったね。

浅見貴則

で、派手な雰囲気の人からの紹介で会うことになった社長の話なんだけど。

ルウク@mirr

浅見さんが一番最初に会った社長ですよね。

浅見貴則

うん、そう。
初めて社長に会うし、頑張って新宿のルノアールまで行って相当ビビッて待ってたら、めちゃめちゃ腰が低いっていうかすごい控えめな感じの人が出てきて(笑)

で、話聞いてたら、その人も受験失敗組で、元々会話は苦手でした〜みたいな人で、親近感もあって、信頼するようになったんだよね。
それで、この人に結構俺はついて回るようになったんだけど。

浅見貴則

で、いろんな人を紹介してもらったり、自分からミクシィで会いに行ったりとかしたんだけど、今まで会った人で考えててもその人が1番すごかった。
それで、ぼったくられてマイナスになって借金ゼロに戻してから、 1番すごい人にもう1回ちゃんと相談しようと思って。

もう1回連絡したら会ってくれた。こういう人もやっぱり俺の理想にかなり近いところではあるよね。
で、この人に改めて相談して、「今だとブログだよ」っていう感じで教えてもらって、この人にお金を払ってブログ習うのよ。 

ルウク@mirr

借金&ぼったくりを経験して、「お金を払うこと」に抵抗はなかったんですか?

浅見貴則

逆にこの借金経験のおかげで「お金払ってチャレンジする」ってことに関しては、抵抗がなくなってたわけ。
マンツーマンでブログのやり方教えてくれるなんて、そんな安いことはねえ!と思ったし。

ルウク@mirr

あ、月5万って言ったやつですね!

浅見貴則

その人ブログもやってて、セミナーも持ってたんだけど、マンツーマンで教えてくれませんかって言って。
週1で会って教えてもらって、「1記事800文字以上で15記事、 受験のこと書いてきてね」って言われたから、30記事やってきたり、毎回与えられたハードルを超えて頑張ってた。 

ルウク@mirr

何か月ぐらい教えてもらっていたんですか?

浅見貴則

準備期間が3ヵ月で〜トータルでいうと10ヵ月ぐらいはお願いしてて。

浅見貴則

準備期間で貯めてた記事をブログで毎日投稿してると、作ってた参考書が売れたんだよね。
俺の数学の勉強方法を全部ちゃんとテキストにしたものと、動画でも取ったもの、 あと問題を選んで問題集にして解説と解説動画をセットにして売ってた。

その人にアドバイスもらって、「自分で数学のセミナーやりましょう」ってなった。

ルウク@mirr

あ、それが浅見さんが最初にやった数学セミナーなのか。

浅見貴則

そう。当時ブログで受験情報を発信してる人自体が少なかったし、しかもリアルでセミナーを開いてる人もいなかったわけ。
だから、最初は実績作りだったの。
参加費1000円でセミナー開いて、もちろん収益はマイナスだから、動画を撮っては来れない人たちに販売して、プラスマイナスをゼロにして、「満員御礼」って実績を作っていく。

色んなアドバイスもくれて次のToDoも決めてくれたり、これで月5万は安すぎたよね。
その時からね、すごい「人の時間を買う」っていう感覚はあったね。

浅見貴則

それが大学4年。
内容的には、これは完全にもうビジネスストーリーの方だと思うけどね。

カンタロウ@mirr

めっちゃいい人と出会えましたね。
こうしてパラリアが始まるわけですね。

In Conclusion

さいごに

07

この日は37度の真夏日だった。

猛暑を避けようと、日比谷公園に朝の7時に集合するも既に遅かった。
通りがかりのお爺さんの「ここの噴水は取り壊しだから今のうちに眺めておけ〜」という言葉がなぜか脳裏に焼き付いて離れない。

そんな一枚の写真を最後に添付しておく。

Interviewee/ Takanori Asami
Interviewer/ Luke Watanabe,Kantaro Tanaka
Photo/ Luke Watanabe
Direction/ Kantaro Tanaka
Contents Design/ Luke Watanabe